
ジョン・レノンが暗殺されてもうすぐ26年。9月15日に劇場公開が始まったThe US. vs. John Lennonは、反戦運動家としてのジョンと、彼の影響力に脅威を感じたニクソン政権の工作を、豊富なアーカイブ・フィルムと関係者の証言で描いたドキュメンタリー。バックグラウンドには、ジョンのヒット曲が流れる。彼がニクソンの”enemy list”(敵リスト)に入っていたのは聞いていたが、工作活動がこんなに大がかりだったとは知らなかった。
ジョン・レノンがヨーコ・オノと結婚したのは、折しもベトナム戦争が泥沼状態だったとき。メディアに追いかけ回されることを逆手に取り、ふたりは「ベッドイン」を実行した。最初はアムステルダムで、次はカナダで(希望はニューヨークだったが、諸事情からあきらめざるを得なかった)、ホテルのベッドに寝転がったジョンとヨーコがテレビや新聞の取材に応じ、平和と愛を訴えた。このイベントを、エキセントリックなセレブリティのナンセンスな行動と報じるメディアが多かったが、カナダでは、応援にやってきたミュージシャンたちとともに、”Give Peace a Chance”を現場でレコーディング。まもなく、この曲はベトナム反戦運動のテーマ・ソングになった。
ニューヨークに移住したレノン夫妻は、ジェリー・ルービンやアビー・ホフマンといったラディカルな反体制主義者、ブラック・パンサーの創立者ボビー・シールなどと親しくなり、テレビのトーク・ショーに出演するたびに、きわめてオープンに自分たちの信条を語った。ブラック・パンサーには資金援助も行い、ある人気トーク・ショー番組に、ボビー・シールを招待したりもした(今では、反体制活動家がテレビに出演するなんて考えられない)。
ジョンのこういった活動に神経質になったニクソン政権は、FBIにふたりの生活を監視させ、電話も盗聴した。そして、ジョンがかつてイギリスでマリファナ所持の罪で有罪になったことを理由に、彼の滞在ヴィザを更新しないという措置を取った。ジョンは、米国政府移民局にこの措置が不当であると主張。数年後、ニクソンはウォーターゲート事件で辞任。ジョンの36歳の誕生日に永住権取得の知らせが入り、偶然、その日にショーンが誕生した。
このドキュメンタリーで、ジョンは、戦争による殺戮や暴力に心を痛め、ナイーブな方法にしろ、真摯な気持ちから平和を訴え、米国政府の偽善主義を告発したヒーローとして描かれている。この作品によれば、彼は、ラディカルなグループからその政治目的に利用されたりもしたが、パブリシストやイメージ・メーカーに囲まれている現代のセレブリティと異なり、無防備に、持ち前のひょうきんさ(彼はいつもユーモアを失わなかった)を失うことなく、本音で夢と信条を語り続けた人間である。
証言者として出演しているのは、ヨーコ・オノ、ウォルター・クロンカイト、ボビー・シール、ジョージ・マクガバン(元大統領候補)、カール・バーンスタイン、ロン・コヴィック(「7月4日に生まれて」の著者)、元アンジェラ・デイビス(ブラック・パンサー活動家)、ゴア・ヴィダルなど。
ジョンは、あるインタビューで「ぼくらは尾行されている。しかも、彼らはこっそりとじゃなくて、わざとぼくらにわかるように尾行している。ぼくらをこわがらせるためだとわかってはいても、平気じゃいられない。受話器を取ると変な雑音がするし、アパートの地下室の電話交換機があるところで異常に長く工事をしている。盗聴されてるのも確かだ。自分の命が狙われているような気がするよ」と語っている。そして、この時期のジョンとヨーコは怯えた表情をしている。後年、公表された政府関係資料から、尾行も盗聴も事実だったことが判明した。当時、不安がるふたりのことをパラノイアと思った人もいたかもしれないが、パラノイアはニクソンだったのだ。
こういう背景を考慮すれば、長いことかかって米国政府と戦って永住権を手にし、ショーンが生まれたあとは、ふたりが”domestic bliss”(家庭の幸福)をエンジョイするようになったのもよく理解できる。心身共に疲れ切っていたところに、待ち望んでいた子どもができたのだ。当時は、“ハウスハズバンド”が新しいことばだったが、「オムツをかえるのってこんなに楽しいのに、人にお金を払ってやらせる人がいるなんて!」と語るジョンの喜びはほんとによくわかる。
いっしょにこの作品を見た友人(インド人)が、不必要な戦争という点では、イラク戦争もベトナム戦争と同じだし、政権が権力を濫用しているという点ではもっとひどいかもしれないのに、なぜあの当時のような反戦、反政府運動が起きないのだろうと疑問を呈した。その理由はいくつか考えられる。まず、ベトナム戦争中は、米国のメディアが、負傷し、殺されたベトナム人や米国軍兵士の姿を毎日のように、生々しく報道したのに対し、現在は戦争の人的被害をほとんど写真報道していない(湾岸戦争でもそうだった)。また、ベトナム戦争時には徴兵があったが、今は志願兵制度なので、若者の間に、自分が戦場に送られるかもしれないという危機感がない。そして、イラク戦争は「テロとの戦い」のために不可欠という米国政府の脅かしのプロパガンダを信じている人が多い。
とはいっても、現代、米国の権力を握っている世代は、当時のカウンターカルチャー世代のはずなのに、いったい、反戦、反政府デモに参加したあの人たちは今、何をしているのだろうか? 「非暴力による平和」というメッセージではなく、いったい、「目には目を」的な暴力連鎖を信じている人が多いようなのはなぜなのか。ゴア・ヴィダル曰く「昔も今も、アメリカは“rogue nation”(ならず者の国)」。でも、シニカルになっている余裕はないのだが。