2006年 03月 27日
フィリピン映画 "The Blossoming of Maximo Oliveros"& 高嶺剛 |
友人のフィリピン人から、「高校の時の友人が初めて撮った長編劇映画が、"New Directors, New Films"で公開される。面白い作品かどうかわからないけど、観に行かないか」と誘われた。
"New Directors, New Films"は近代美術館とリンカーン・センターの映画部門の共同主催による映画祭で、世界各国の新人監督の作品を紹介する。サンダンス映画祭など、新人監督の登竜門となる映画祭は激増したとはいえ、"New Directors, New Films"は歴史が古いこともあり、知名度が高い。
というわけで、土曜日の午後、友人と一緒に、この作品"The Blossoming of Maximo Oliveros"を何の予備知識もなしに見た。マニラのスラムに住む12歳の男の子マキシモが主人公。幼いときに母を亡くし、父親は盗んだ携帯電話を売って生活費を稼ぎ、ふたりの兄も父親と似たり寄ったりの"仕事”。女の子の格好をし、女の子のふるまいをするマキシモは、けなげに毎日せっせと家事をこなしている。学校には行っていない。父親と兄の仕事の非倫理性はともかくとして、家族の絆は強く、深い愛情で結ばれている。ところが、窮地を救ってくれた若い警官に恋したマキシモは、警官の影響で自分たちの生活に疑問を抱くようになり、やがて、ある大きな事件が起きる・・・・・・。
一言で言えば、スラムに住む若いゲイの少年の成長物語。シンプルなストーリーだが、底抜けに明るい笑いと優しさに満ち、涙と感動のエンディングで娯楽性も高い。100人を越すオーディションの中から選ばれたという主演の子役の可愛らしさと演技力もさることながら、脇役の俳優たちもすばらしい。加えて、マニラの”長屋横町”ふうの、人情あふれる住民たちの生活感が生き生きと伝わってくる。上映後、監督は舞台で観客からの質問に気軽に答えた。その後、エバリー・フィッシャー・ホール内のカフェで話を聞くことができた。
Auraeus Solito(オレアズ・ソリート)監督は1969年生まれの37歳。演劇活動からドキュメンタリー映画制作に転じ、これまでに3本の長編ドキュメンタリーを撮っている。そのうちの1本、"Basal Banar-Sacred Ritual of Truth(神聖なる真実の儀式)”は、フィリピンのパラワン島で撮影し、2003年、山形ドキュメンタリー映画祭でも上映された。
今回の"The Blossoming of Maximo Oliveros"は、あるコンクールで賞を撮った脚本が映画化されるにあたり、監督を依頼された。ちなみに、脚本を書いたのは、日系フィリピン女性のヤマモト・ミチコさん。制作予算はなんと1万ドルだったが、ミニDVDを使って、監督自身が生まれ育った地区でわずか13日(! 学生映画の撮影日数よりも短い!)で撮影した。若い警官が住むアパートのシーンが何度か登場するが、これらのシーンは監督の家で撮影された。脚本の練り直しと演出で特に気をつかったのは”若いゲイのポジティブなイメージ”だったそうだ。この点については、「主人公のマキシムの女の子っぽさが家族にも近所の人にも当たり前に受け入れられている点に感銘を受けた。あれはフィリピンでは当たり前なのか」というアメリカ人観客の反応のほうが興味深かった。監督の「ゲイであるという理由で否定されたり、差別されたりはしない」という回答に「フィリピン社会の特徴なのか、ゲイに対してだけでなく犯罪者に対しても、寛容さが感じられる」という感想を言う観客もいた。
大きな笑いを誘うシーンのひとつは、マキシムが友人たちとミス・ユニバース・コンテストの真似をして遊ぶ場面。精一杯工夫した派手なコスチュームもさることながら、審査員の類型的な質問に一生懸命に答えようとする姿が、悪意が感じられないパロディでおかしい。マニラ生まれでニューヨークで映画を作ろうとしている、ある若いフィリピン人曰く、「あれは誇張ではないんだよ。フィリピンでは、各種の美人コンテストがものすごい人気があって、テレビ中継があれば、みんなテレビに釘付けになる。コンテストで優勝した女性には、いいキャリアが保証されているぐらいさ」。
この作品は、フィリピンでは大ヒット。トロント、モントリオール、ロッテルダム、ベルリン、サンフランシスコ、スペインなど世界各地の映画祭で招待上映され、数々の賞も受賞。ヨーロッパとアメリカでの配給も決定した。来年には南アフリカでも上映される。
素顔のソリート監督は、この映画のことを教えてくれた私の友人と同じく、陽気でオープンで前向き。そして好奇心にあふれている。映画に目覚めたのは、13歳のときに、文学の授業で黒沢明の「羅生門」を見せられてから。演劇からドキュメンタリー、劇映画への移行はごく自然だったそうだ。
彼は山形映画祭に招待されもし、偶然そこで上映されていた高嶺剛監督の作品に感動し、沖縄の文化に強い興味を持つようになった。偶然、3月25日の夜には、イーストビレッジで高嶺監督の「オキナワン・ドリーム・ショー」をライブ演奏つきで上映し、高嶺監督自身がフィルムを回すことになっていると話すと、彼は大喜びして、その夜高嶺監督と再会した。
ちなみに、彼は、ドキュメンタリーの撮影のために8月から4ヶ月間、沖縄で暮らす。そのドキュメンタリーが完成した後は、フィリピンで商業映画の監督を務めることになっている。
それにしても、デジタルビデオの普及で、本当に低予算で映画が作れるようになった。以前は、映画という媒体は機材へのアクセスが限られ、制作費がかかったことから、一握りの人間に独占されていたが、デジタルビデオとパソコンで簡単に作れるようになった。これから、すごい勢いで世界各国の映画が見れるようになるであろう。
"New Directors, New Films"は近代美術館とリンカーン・センターの映画部門の共同主催による映画祭で、世界各国の新人監督の作品を紹介する。サンダンス映画祭など、新人監督の登竜門となる映画祭は激増したとはいえ、"New Directors, New Films"は歴史が古いこともあり、知名度が高い。
というわけで、土曜日の午後、友人と一緒に、この作品"The Blossoming of Maximo Oliveros"を何の予備知識もなしに見た。マニラのスラムに住む12歳の男の子マキシモが主人公。幼いときに母を亡くし、父親は盗んだ携帯電話を売って生活費を稼ぎ、ふたりの兄も父親と似たり寄ったりの"仕事”。女の子の格好をし、女の子のふるまいをするマキシモは、けなげに毎日せっせと家事をこなしている。学校には行っていない。父親と兄の仕事の非倫理性はともかくとして、家族の絆は強く、深い愛情で結ばれている。ところが、窮地を救ってくれた若い警官に恋したマキシモは、警官の影響で自分たちの生活に疑問を抱くようになり、やがて、ある大きな事件が起きる・・・・・・。
一言で言えば、スラムに住む若いゲイの少年の成長物語。シンプルなストーリーだが、底抜けに明るい笑いと優しさに満ち、涙と感動のエンディングで娯楽性も高い。100人を越すオーディションの中から選ばれたという主演の子役の可愛らしさと演技力もさることながら、脇役の俳優たちもすばらしい。加えて、マニラの”長屋横町”ふうの、人情あふれる住民たちの生活感が生き生きと伝わってくる。上映後、監督は舞台で観客からの質問に気軽に答えた。その後、エバリー・フィッシャー・ホール内のカフェで話を聞くことができた。
Auraeus Solito(オレアズ・ソリート)監督は1969年生まれの37歳。演劇活動からドキュメンタリー映画制作に転じ、これまでに3本の長編ドキュメンタリーを撮っている。そのうちの1本、"Basal Banar-Sacred Ritual of Truth(神聖なる真実の儀式)”は、フィリピンのパラワン島で撮影し、2003年、山形ドキュメンタリー映画祭でも上映された。
今回の"The Blossoming of Maximo Oliveros"は、あるコンクールで賞を撮った脚本が映画化されるにあたり、監督を依頼された。ちなみに、脚本を書いたのは、日系フィリピン女性のヤマモト・ミチコさん。制作予算はなんと1万ドルだったが、ミニDVDを使って、監督自身が生まれ育った地区でわずか13日(! 学生映画の撮影日数よりも短い!)で撮影した。若い警官が住むアパートのシーンが何度か登場するが、これらのシーンは監督の家で撮影された。脚本の練り直しと演出で特に気をつかったのは”若いゲイのポジティブなイメージ”だったそうだ。この点については、「主人公のマキシムの女の子っぽさが家族にも近所の人にも当たり前に受け入れられている点に感銘を受けた。あれはフィリピンでは当たり前なのか」というアメリカ人観客の反応のほうが興味深かった。監督の「ゲイであるという理由で否定されたり、差別されたりはしない」という回答に「フィリピン社会の特徴なのか、ゲイに対してだけでなく犯罪者に対しても、寛容さが感じられる」という感想を言う観客もいた。
大きな笑いを誘うシーンのひとつは、マキシムが友人たちとミス・ユニバース・コンテストの真似をして遊ぶ場面。精一杯工夫した派手なコスチュームもさることながら、審査員の類型的な質問に一生懸命に答えようとする姿が、悪意が感じられないパロディでおかしい。マニラ生まれでニューヨークで映画を作ろうとしている、ある若いフィリピン人曰く、「あれは誇張ではないんだよ。フィリピンでは、各種の美人コンテストがものすごい人気があって、テレビ中継があれば、みんなテレビに釘付けになる。コンテストで優勝した女性には、いいキャリアが保証されているぐらいさ」。
この作品は、フィリピンでは大ヒット。トロント、モントリオール、ロッテルダム、ベルリン、サンフランシスコ、スペインなど世界各地の映画祭で招待上映され、数々の賞も受賞。ヨーロッパとアメリカでの配給も決定した。来年には南アフリカでも上映される。
素顔のソリート監督は、この映画のことを教えてくれた私の友人と同じく、陽気でオープンで前向き。そして好奇心にあふれている。映画に目覚めたのは、13歳のときに、文学の授業で黒沢明の「羅生門」を見せられてから。演劇からドキュメンタリー、劇映画への移行はごく自然だったそうだ。
彼は山形映画祭に招待されもし、偶然そこで上映されていた高嶺剛監督の作品に感動し、沖縄の文化に強い興味を持つようになった。偶然、3月25日の夜には、イーストビレッジで高嶺監督の「オキナワン・ドリーム・ショー」をライブ演奏つきで上映し、高嶺監督自身がフィルムを回すことになっていると話すと、彼は大喜びして、その夜高嶺監督と再会した。
ちなみに、彼は、ドキュメンタリーの撮影のために8月から4ヶ月間、沖縄で暮らす。そのドキュメンタリーが完成した後は、フィリピンで商業映画の監督を務めることになっている。
それにしても、デジタルビデオの普及で、本当に低予算で映画が作れるようになった。以前は、映画という媒体は機材へのアクセスが限られ、制作費がかかったことから、一握りの人間に独占されていたが、デジタルビデオとパソコンで簡単に作れるようになった。これから、すごい勢いで世界各国の映画が見れるようになるであろう。
by nyfilmetc
| 2006-03-27 15:49
| 映画